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平成二十年四月二十日、出雲大社で五十九年振りに仮殿遷座祭が執行されました。今回はこのお祭りについてお話申し上げましょう。当日夜七時、黒の束帯をおめしになられた出雲国造(こくそう)千家尊祐(せんげたかまさ、出雲大社宮司)様と同じく北島建孝(たけのり)様をはじめ、赤や青の衣冠を着装した出雲大社神職と白の斎服を着装した近隣の神社の神職、出雲大社教や出雲教の代表者、そして大社國學館卒業生で組織される宇迦山会の会員は、斎館前でお祓いをすませた後、太鼓と笛の音(「入り申す」)がかすかに響く薄明かりの中、御本殿へと参進した。 御本殿に到着すると、千家国造は御本殿の大きな階段をおのぼりになって内陣へとお進みなり、大国主大神様の大前で祝詞を奏上なされた。その後、太鼓と笛の音(「入り申す」)が鳴る中、千家国造と出雲大社権宮司等により大神様がお鎮まりなる内陣のお社からご神体をお神輿へお遷しになる儀式が行われた。大神様は千家国造のご先導で十人余りの神職にかつがれて御本殿からお発ちになった。暗闇の中、太鼓と笛の音がひときわ大きくなったその時、お神輿は御本殿からお姿をお現しになり、あの大きな階段をそろりそろりと下りてこられた。楼門からお出ましになられる時、お神輿の前方を覆い隠す行障(こうじょう)二名が加わり、次にお神輿全体を覆い隠す白い絹垣がお神輿の前方右側面から後ろへめぐり左側面へと覆い隠した。 遷御(せんぎょ)の一行は楼門からスロープになった階段を下り、八足門(やつあしもん)を通過してさらに大きなスロープになった階段をそろりそろりと下りてこられた。わたくしども参列者はそのときはじめて白い絹垣で覆われた遷御の一行を見ることができたのである。 遷御の一行は笛の音(「神能」)と警蹕(けいひつ。オーと叫ぶ声)が響く満月の下、わずかな燈明の薄明かりをたよりに、盛砂が一列に敷き詰められた石畳を東の十九社(じゅうくしゃ)から御本殿背後の素鵞社(そがのやしろ)、さらに西の十九社へと進み、ゆっくりとしたスピードで瑞垣(みづがき)外を十五分かけて一周なされた後、御仮殿(おかりでん。仮の御本殿)となる拝殿へと向かわれた。その間、参列者はあらかじめ配布された白い小さな御幣(ごへい)を手にして拝まれていた。 お神輿が御仮殿に到着されると、御仮殿正面は絹垣で覆われ、暗闇の中、千家国造と権宮司等はお神輿から御神体を内陣へとお遷しなされた。その間、殿内では太鼓と笛の音(「入り申す」)が激しく轟き、御遷座の厳粛さを想像させた。御遷座が滞りなく終了すると、その時初めて殿内の照明が灯されて、御仮殿は一瞬にして祭礼の舞台へと様変わりした。 御神前に十三台の御供え物が多くの神職の手を経て献上された後、千家国造御自らお箸を奉られた。次にお箸を奉られた時と同様に正中(せいちゅう。神殿の真ん中をさす。一般の神職はこの線上は決して歩かない)をまっすぐお進みになって、祝詞座に着かれ、その後ろ左脇に赤の衣冠をめされた権宮司が着座された。千家国造は四拝(一拝一祈念二拝)四拍手一拝(以下祭員あわせて拝礼する)ののち祝詞を奏上され、その間祭員は全員ひれ伏した。祝詞奏上が終わると国造は玉串を両手でお持ちになって出雲国造家伝来の神語(「幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)守り給ひ幸はへ給え」)を三度お唱えになる。その間祭員以下参列者全員が唱和し、国造に合わせて自座で拝礼を行った。次に巫女舞がはじまると、ようやく極度の緊張感から解き放たれたように、はじめて外気の冷たさを心地よく感じたのであった。舞の終了後、祝詞座がすみやかに撤去され、千家国造と権宮司が御神前の御簾をゆっくりとおろされた。その間、警蹕が三度叫ばれ、太鼓と笛の音(「入り申す」)が響く中、祭員以下はひれ伏した。以上で仮殿遷座祭は終了し、再び太鼓と笛の音(「入り申す」)が鳴ると、千家国造、北島国造以下祭員は一列の長い列を作って暗闇の中、斎館へと玉砂利の踏みしめる音を残して消えて行ったのである。 現在、出雲大社では五十九年振りに御本殿の特別拝観が行われています。おそらく一生に一度しかない機会(次は平成八十五年以降)ですので、この機会にぜひ出雲大社の御参拝をおすすめ申し上げます。この御本殿は江戸時代に出雲大社の神職が幕府の支援で全国津津浦々をめぐっておおくの民から賜った浄財で建てられたものですから、ご先祖様の思いを再現する良き機会だと存じます。特別拝観の日程は下記の通りです。 記 四月二十六日(土)〜五月六日(火) 五月十三日(火)〜五月十八日(日) 八月一日(金)〜八月十七日(日) 拝観時間は午前九時半〜午後五時まで(受付は午前九時から午後三時半まで) *五月一日、十四日、十五日、十六日、十八日、八月一日、五日、六日、七日、十五日は祭典終了後からの拝観ですので、ご注意下さい。 | ||
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