◆  コラム その十九(祈りの秋)  ◆
 いつのまにか夏が過ぎ、秋風や虫の音が快い季節となりました。秋空のもと、何をするにも快適で楽しい季節でもありますが、忘れてはならないのが、秋のお彼岸です。
 お彼岸にお墓参りする風習は、古くから日本にある祖霊信仰に依るものでありますから、秋分の日の趣旨は、「祖先を敬い、亡くなった人を偲ぶ」と法令で定まっています。

 仏教伝来にともなって、日本の風習と仏教の教えが習合し、時の流れに磨かれて、現在のようなお彼岸の習慣になりました。こうしたことから、「彼岸」自体は仏教の言葉ではありますが、「お彼岸にお墓参り」というのは、どうやら日本独特の行事のようです。
 仏教では西方に極楽浄土があって、祖霊はそこに坐すとされていますが、それは仏教以前から有していた観念の上に成り立つものでしょう。現に西方に極楽浄土があると、本当に信じている人はどれくらいおりますことでしょうか。

御魂の行方を素直に思えば、祖霊は目に見えない「幽世(かくりよ)」という世界に鎮まり、現世(うつしよ)に暮らす私たち子孫に幸福の縁を授けてくれていると考えられます。しかし、幽世は存在すれけれども、はっきり示すことはできません。
例えば、親子の愛情を見せようとしても、また、見たいと思っても見ることはできません。時には愛情を確かめようと高価な物を与えて、子供の喜ぶ姿をみて、それによって親子の愛を確かめたつもりになることもあります。しかし、物を与えることでは物欲を満たせることができても、愛情は、はかれないことはお解かりのことでしょう。

親が親としての勤めを尽くすならば、子供は必ず目に見えない親の愛を理解してくれるに違いない。そう信じて今日まできたと思います。 幽世の存在というのは、ある意味そういう気持ちと同じであろうと思います。
先人達は、五感の限界の奥にある幽遠な世界を畏敬し、幽世がどこにあるかなどと、そのようなことは問題にしなかったのです。あまりに深遠な目に見えない世界を捕捉することは困難ではあるが、確かに幽世は存在していて、幽世があって現世があります。そして、幽世から大きな御力を戴いて、生きとし生けるものの幸せな縁を結んで下さっていると信じてきたのです。
日本特有の祖霊信仰においては、この幽世には祖霊が坐す世界でもあると考えられてきました。そうしたことから、祖霊と私たちの縁は途絶えることなく続き、また周囲との縁も結ばれ続け、幸せの縁は大きく広がっていくこととなります。

出雲大社教 初代管長
 千家 尊福 公 御教歌

     「幽冥の 神の恵みし なかりせば
              霊のゆくへは やすくあらめや」

 見えざる世界である幽世を治めているのは、幽冥大神(かくりよのおおかみ)であります。幽冥大神は大国主大神の御神名の一つであります。私達の暮らしの祈りは、現世にあっては大国主大神であり、幽世の事にあっては幽冥大神ということになります。つまり生死の分け隔てなく全ては、ダイコクさまの懐の内ということになります。

 生命は死によって終わるのではなく、肉体が滅びたとしても、肉体に息づいた霊魂は幽世に帰り、大神さまのもとで縁につながるものが幸せになるよう、現世に向かって働いてくれています。このことを「顕幽一如」と表現し、この言葉が指し示すように、私たちは祖霊と共に生きています。
 今年は、秋分の日を含めて大型連休になっています。ご旅行など、いろいろ計画されている方もおられると思いますが、祖霊を偲び、感謝の誠を捧げる祈りも忘れないで戴きたいと思います。