◆  コラム その二四(人との絆)  ◆
 日本の季節というのは大変結構なことで人間の気付かぬうちに、静かにゆっくりと春へと移ろいでくれます。つい先日までは、「あけましておめでとうございます」と挨拶していましたが、あれよあれよという間に1月が過ぎ、誰が云ったかは分かりませんが2月は「にげる」と云はれています。その申す所通りに2月は足早に過ぎさり、気付けば3月となりました。立春を迎え旧正月(本年は2月14日)も過ぎまして、ようやく冬の厳しい寒さも少しずつ和らいできましたが、いつの頃よりか「暑さ寒さも彼岸まで」といわれていますので、もうしばらくの間は冬を楽しめそうです。 日本の冬の風物といえば炬燵やお鍋料理等々があり家庭にあっては一家団欒を大いに楽しまれ、世間とはこれがために人間関係が親密に結ばれ、もうすぐ訪れることとなる芽吹きの春に向けて、心の耕耘・播種をする季節でもあります。

 今年は春を目前に大いに盛り上がりましたのが、 カナダはバンクバーで行われた冬季オリンピックではないでしょうか。オリンピックという公式の場で、日本選手団をはじめ各国の選手達は、余す事なくその能力を発揮して好記録を出し、競技を直接あるいは中継を経て観戦している子供たちに未来の夢を見せ、幼い心をときめかせました。又それぞれに携わる人々に希望の光を与えたことと思います。全種目を通じて会場は満員となり、テレビ中継・報道のカメラが林立する中で数々の名場面があり、まるで映画のシーンを観ている様なドラマ・人間模様が次々と映し出されました。つくづく人間というのは、いかように天賦の才能があり、環境に恵まれていたとしても、多くの人々の支え合い又、励まし合いの中で活かされているのだと改めて思い知りました。

このたびのオリンピックを思い返し、数多い名場面の中でも特に強い印象を与えてくれましたのは、フィギュアスケート男子シングルにおいて日本人男子初のメダルを獲得し、表彰台へ上がりました、高橋大輔選手ではないでしょうか。

高橋選手は2008年四大陸選手権で国際スケート連盟(以下ISUと略す)のフィギュアスケート男子シングル総合得点でISU歴代最高記録を保持しており、今回のオリンピックでは前評判の通り表彰台に上りました。しかし、ここまでの道程は決して順風満帆というわけではなかった様です。

 スケートとの出会いは、幼少期に性格的に弱かったことを心配した両親が様々なスポーツを進め、その中でも8歳の頃に出会ったフィギュアスケートが性に合い、スケート教室に通い始めました。これを機に練習を積むにしたがって、その才能が頭角を現してきました。中学生の時に長光歌子氏と運命的な出会があり、師事したことにより、将来の進路を決定づけられました。この時のことを長光氏はこう語っています「スケートやジャンプが上手な選手はいますが、高橋選手の場合は体から曲が聞こえて来るような、独特の雰囲気を持った選手であり世界で通用すると思いました。」2001年に全日本ジュニア選手権を制し、2002年には世界ジュニア選手権で日本男子として初めての優勝を飾りました。長光氏の予想通り表彰台の位置を常に治めていました。しかし、翌年からシニアに参戦してからは成績が伸びず、海外の有名コーチを訪ねて指導を仰ぎますが、思うような成果は得られず、悩みが増す日々を過ごしてきました。関西大学に入学してからは、入学に伴い実家からコーチの長光宅へ同居となり、これまでの環境とは大きく変化し、天才的だと評価されながら結果がでないプレッシャー、さらに、この年のアジア大会にて右足首の神経が炎症を起こしたことにより、気持ちが沈み、「スケートをやめてしましたい」と悩む時期がありました。その後全日本選手権で6位に沈んでしまいました。この時に、中学生のころから信頼している長光コーチの支えがあり、練習に没頭して、2008年の四大陸選手権ではISU歴代最高得点を記録し、世界の頂点に立ちました。だが、精神状態は不安定のままであり、この頃の気持ちを彼はこう語っています。「どこをどう直したら良いのかわからなくなっていて、練習にも集中できてなかった。モチベーションが全く上がらず、長い間(引退も)悩んでいた。」そのような心的状況の中、この年の10月末に練習中に右膝を痛めました。検査結果は右膝十字靱帯及び半月板を損傷と診断され、選手生命の危機に瀕しました。治癒方法は手術以外なく、術後に再び第一線に復帰した事例が極めて少なく、苦悩の末に手術を選び11月に施術しました。

 術後のリハビリ生活では、1日10時間にも及ぶ厳しいリハビリ・トレーニングがプログラムされていました。早く滑りたいという気持ちと思うようにならない身体、そしてリハビリ・トレーニングの単調な日々に次第に塞込むようになり、ついに失踪しました。

 失踪から三日後に姿を現したのが、母親のような存在でもある、コーチの長光氏の所でした。そして、長光氏が投げかけた言葉は「辞めたければ辞めてもいい。関係者に謝罪するのもコーチの仕事だから気にしなくいい。続けたければ自分の為に続ければいい。私はコーチとして在り続けるから。」高橋選手は、この時の気持ちを「辞められない。自分自身で後悔するのはわかっていた。」と語っています。

 この後、リハビリ・トレーニングに励み、再び氷上に戻った時は、以前よりも下半身が強化したため安定感があり、また柔軟性も増し全身の可動域が広がったため、スケートが氷に吸いつくような質的変化がおこりました。トレーニングと基礎練習によりスケート技術が向上し、このため演技力・表現力も向上しました。復帰後についた評価は「世界一美しいステップ」でした。
オリンピック前のインタビューでは「長光コーチに出会っていなければ、ここまでくることは出来なかった。自分は弱い方なので、逃げてきていることも何回もあった。しかし、今は強くなりたいし、自分に克ちたい。また、本当に何か困った時に新たな出会いがあり、必要とする人と出会えてきた。」そして、オリンピックの舞台で日本男子初のメダルを手に入れました。

 高橋選手の功積は、自身の才能と努力は勿論のことですが、それと等しく大事なことは、母親のような深い信頼関係で結ばれている長光コーチの存在。応援し支えてくれる御両親はじめとする人達の存在。また、世界の舞台で通用するための技術・演技指導者の存在。それらの存在をしっかりと認識し、感謝をすることで輝きを増しました。
 このように世界から注目されるような人物であっても、自身の反省と努力にあわせ周囲への感謝が必要な心得だと窺えます。このような心得を別の言葉に表せば「誠(まこと)」だと言えます。人間関係は互いに信頼し尊重し合うことによって、芽生える愛情で心が結ばれ、その愛情が大きくなり誠となって、はじめて夢や理想が具現化されていきます。この誠の心で過ごしている中では、目に見えないが確かに何かが働きかけ、不思議な出会いがあります。このことを日本語では「ご縁」といいます。
 「縁」というのは、どのように結ばれるのかは神事ですので、窺い知る事はできません。しかし、この目に見えない縁を具体的にするのは、間違いなく人の誠の心なのです。そして、誠の心で人生を全うすることを神話の時代から歴史的に幸福と信じられてきました。誠とは、目に見えない幽なる何かを顕現し具象化する力をもっており、誰しも平等に備わっている才能です。
昨今の厳しい世相の中では、人間関係を損得で考えがちになってしまう事もあろうかと思いますが、その感情に支配されず、人情豊かに心暖かな人生を歩んで下さい。古い言葉に「鰯の頭も信心から」とありますように、誠の心を信じる事が大切です。ちなみに英語にも類似する言葉があります「Miracles are who believe in them(奇跡はそれを信じる人に起きる)」