◆  コラム その二五(稽古照今)  ◆
 一雨ごとに暖かさが増し、厳しい冬が過ぎ去ろうとしている季節となりました。この季節は、次に訪れる春への期待が高まる頃でもありましょう。入社・入学に向けて、あれやこれやと思いを巡らしいる方、また婚約・結婚などの誓を交わす決意を固めた方も多い事と思います。誰人にとっても新しい環境また新たなる決意での生活がはじまり、社交の場での出会いが多くなり、人生に於ける大きな転換を迎える季節でもあると思います。
 東京分祠では、桃の節句を迎えるのにあたり、2月27日から3月3日迄の間社頭で御参拝の方に甘酒を御奉仕致して居りました。今年も多くの方が参詣になり、甘酒に体も心も温められていました。御奉仕ならびに寒風の中、参詣になられました約500名の多くの方々に厚く御礼申し上げます。  この3月は、これから迎える新生活また、これまでの生活をより充実させるために、行わなければならない事、準備しなければならない事が様々ありますが、その中でも特に注目するべきなのが、春の彼岸のお墓参りでしょう。

 なぜと怪訝に思われるかもしれませんが、人間が営む生活は物理的な部分と心理的な部分が複雑に互助しあっており、ある一つの方向からの視点では理解できない、難解な事象を日常の中で至極当然のように行っています。

 物理的な事、つまり「顕」は具象化されていますから見聞して、実際に触れることも可能です。しかし、心理的な事、つまり「幽」は見聞できず勿論実際に触れる事は不可能です。だからといって、顕と幽が遠くかけ離れている訳ではありません。むしろ深く係り合っていて、顕幽相即の関係にあります。例えば、美しい絵画と評価する時は、目で見た時の美しさ又は技術だけに留まっているのではなく、絵画を通じて作者の心が感じとれる「何か」が確かに込められており、言葉では説明できない「何か」つまり幽なる力によって輝き、美しい絵画と称賛されます。日本の伝統技巧の中で世界中から注目をされている技巧は種々ありますが、その中でも一目置かれているのが日本刀を代表とする刃物です。「斬る」ことだけに特化した日本刀は、鍛冶職が灼熱の玉鋼を核とした和鉄を鍛錬に鍛錬を重ね、磨き上げて出来上がります。傍目には過酷な環境での勤めであり、現代技術をもってすれば工業機械で作製することが可能でしょう。しかし、機械で作製したものでは世界的な注目は集まりません。むしろドイツ等の工業先進国の方が量も質も優れています。では日本とそれらの違いは何か、手造りだけではありません、和鉄は鍛冶職人を選び、そうして出来上がった日本刀は使い手を選びます。なぜなら日本刀の斬るというのは、ただ物を斬るだけでではなく、目に見えない何かをも斬る事が出来るからでしょう。別の視点からいえば、心ある人ならば身分相応に徹して自己にそぐわない物はもちません。それは日本人の心の奥に宿る無意識から来る心理だと思います。

 日本人の素朴な信仰は、自然からの恵み、それを恵みだと思えるように教えてくれた祖先、そのように幸福の連鎖を結び守って下さる神々に対して感謝の祈りを捧げると同時に自身の道から外れることなく守ってくれた魂にも感謝をすることです。このことは、あまりにも日常的であり生活の中に溶け込んでいますから、無意識にそうなっていきます。

 この無意識を自覚した時には、物が人を選ぶのではなく、何かを象徴する立派な物は神の魂が宿るものと感じて、村や町の守り刀或は御神体として丁寧に祭祀します。一家の事柄としては、その家族を象徴する物には祖先の魂が宿っており、家長が厳しく自覚し丁寧祭祀を務めます。この姿を見て育った後代の者には理屈抜きで親の心・祖先の心を理解しています。

 このように顕幽が相即関係にあります。無意識や感じとる力、いいかえれば幽なる力が顕なるものを理解させくれており、正しき方向へと導いてくれます。別の視点では、顕が幽の能力を引き出しているといえるでしょう。顕が幽を導き顕を顕たらしめ、幽は幽なる何かを顕となるべく作用する。又はその逆も然りでありましょう。現代におけるお墓参りは、このことを無意識から自覚に導くために必要なことです。このことは、出雲大社の神語である「幸魂奇魂守給幸給」の祈りに通じていると思います。

 ここでは二墓制や参り墓といったことには触れませんが、彼岸本来の意義は、お墓参りを通じて親達の心を感謝するのと同時に稽古することにあると思います。祖先の墓を目の前にすれば、忘れていた記憶を鮮やかに思い出し、ありしころを偲ぶのが人情というものでしょう。そうした時に、親達はどのような思いで私達を育ててくれていたか、また、私達の幸せをどれだけ深く祈ってくれていたかを感じずにはいられません。それを感じる瞬間は、道中の何気ない野山の草花や墓所で風に吹かれた瞬間かもしれませんが、その時間こそがお墓参りを意義あるものにする、又は成長するための稽古だといえるでしょう。

 春の新たなる決意に際しまして、お墓参りを蔑ろにしてはなりません。祖先を偲ぶことにより祖先の心も魂も継承し、人と成るべく稽古して、良き子孫と褒められるような勤めを果たそうとすれば、何事に於いても成長させてくれることでしょう。
 お墓参りに際しまして、それぞれの霊園や墓所には規則があろうかと思います。また、カラス等の野鳥が御供え物を荒らすとの理由により、御供え物を片付けなければならない所もあります。それらの規則やマナーを守り、気持ちよくお参りしましょう。