ご 生 誕
尊福公は、当時「人生の万能選手」と呼ばれていたように多くの業績を残されており、そのご生涯は布教・教化、国家国民のために奔走、各地を御巡歴されたお暮らしの日々でありました。その御生涯の一端をお伝えすることが出来れば、幸甚です。
国造家は皇室に比するほどの旧い家柄で、尊福公の頃には国造は生き神様といわれるほどでした。そのようななかにあって、尊福公は、弘化2(1845)年8月6日に出雲国造七十九代千家尊澄公の嫡男として御生誕なさいました。幼名を国丸(くにまろ)といい、嫡子誕生を上下をあげて連日奉祝したと伝えられています。
時代は、幕末から明治維新の変革期を迎えており、多感な青少年時代をこういった時代背景ですごされましたことは、尊福公に多大な影響をもたらしたことでしょう。
尊福公も先祖伝来の好学の資質に恵まれ、父尊澄公より国学、和歌の道の薫陶を享け、漢学を雨森精翁に学び、将来国造として立つべく、ご修養に励まれました。その学問の筋は梅之舎千家俊信の『梅之舎三箇條』などにみられる古学の道でありました。
|