◆  コラム その九(注連縄)  ◆

 一年あっという間で早や年の瀬ともなり、気ぜわしくお過しと思いますが、年の終りには神棚を清掃し、注連縄を新しくして、新しい御神札を迎えて、気持ちよく新年を迎えたいものです。

今回はその注連縄のお話。しめなわは注連縄、標縄、七五三縄、〆縄、とも書かれ、わら縄に紙垂をつけた祭祀具です。 神社の鳥居や拝殿、ご神木や境内の神域、また家庭の神棚などに張られ、ご神域の森厳な雰囲気を醸し出しています。
この注連縄の意味するところ、説明などは不要と思いますが、「なわばり」を侵す、「なわばり」争いなどといわれるように一本の縄が境界を表し、そこが神聖な場所であること、そして不浄なものの侵入を禁ずる印となっているということを示しています。 また「しめ」とは、空間の場所を「占める(占有)」や「締める」であり、同時に「示す・標す」なども意味しています。

注連縄の由来は、天岩戸神話で、布刀玉命(フトダマノミコト)が岩戸の入口に張った「尻久米縄」(シリクメナワ)だということです。藁の綯(な)い終わりの尻を籠めておくところからきています。 注連縄には、形状などから、大根じめ、牛蒡じめ、輪じめ、など様々な種類があり、張り方も全国各地によって違います。 大根のようにだんだんと細くなっていく大根注連(だいこんじめ)の場合は、神棚に向って右側に綯い始めの太い方がくるように、神棚の上部に飾るのが一般的です。そして四垂れ左折の紙垂を四枚、挟み込んで垂らします。 この綯い始めの太いほうを神様から見て左(向って右)にするのは、左を上位として尊ぶところからきています。

 ところで、出雲大社に参拝された方はご本殿の勇壮さはまずおいて、その注連縄の大きさに驚かれたことでしょう。 そのときになにか違和感を感じた人はいませんか。 実は出雲大社の注連縄は張り方が左右逆なんです。そう、綯い始めの太いほうが向って左から始まっています。 東京分祠の本殿や祓社でもそうなっています。 さて、これはなぜなのでしょう。 千家尊統第八十二代出雲国造は、古伝によると出雲大社では一般神社とは正反対に向って左を向って右より上位としていたので、大社の注連縄の綯い始めは向って左におくと述べています。 その根拠として、

○出雲大社ご本殿の左右両側に摂社が三社あり、古書には、向って左側の筑紫社、御向社、天前社の順に記されていて、向って左の筑紫社を上位としていること。

○元禄の頃の大社の古くからの社家である佐草自清(さくさよりきよ)公が書き残したものでは、大社ご本殿内に神饌をたてまつる順序は向って左が上位となっていること。

○国造家出身の学者、千家俊信(せんげとしざね)の話にもとづき作成した大社内陣の図によると、尊貴第一の神である天御中主神を向って左に配し、以下順次右に記していること。

ということをあげています。 以上の理由により、古く出雲大社では、向って左を上位としていたことがわかりまます。これにより出雲大社の注連縄が左右逆である理由がわかります。

 近頃は大国主大神が怨霊神であるとして、それを封じ込めるために、死の宮殿として現世とは逆の配置になっているという説をよくみますが、これは我々出雲大社を信ずる者の採らぬところ、ダイコクさまが怨霊であれば、これほど人々に親しまれる神様になるわけはありません。 出雲大社の沿革は、遠く神代にあり、天孫の降臨に際して、大国主大神が自らが開拓経営したこの国土を天孫に奉還し、退いて幽冥主宰大神(かくりよのおおかみ)となられたので、天照大神がその功績を賞して、もろもろの神に命じ、高天原の宮殿を模して天日隅宮(あめのひすみのみや)を造営させたとあります。
卑見ですが、このように出雲の神様は幽契により幽冥主宰大神(かくりよのおおかみ)と称されるように、顕に対する幽、天に対する地、表に対する裏のご神格をもつ神様ですから、上古、向って左を上位としていたのは、社殿の姿によりそのご神格を表していたと考えれば納得できるのではないでしょうか。

ともあれ、御教歌にありますように
 みしめ縄只一筋に仰がなむ
     末はるかなる神の恵みを
こういう気持ちで新たな年を迎えたいものです。